村上春樹、河合隼雄に会いにいく
村上春樹、河合隼雄に会いにいく
新潮社
price : ¥460
release : 1998/12

村上作品が好きな人には必須の一冊

―「デタッチメント(無関心)」から「コミットメント(関心)」へ―という、『ねじまき鳥クロニクル』以前以後の、村上春樹の作品を通しての、自分自身の社会に対する在り方の変遷が、心理学者である河合隼雄氏との対話で顕わになります。それ故、村上氏の作品が好きな人には、小説ではないこの一冊も、彼の小説を理解するためにこそ必要なのではないでしょうか。


1994-95年といえば、阪神大震災、オウム、少年A事件など 大きく不幸な事件があった年です。そのような時代の中で 村上春樹氏が心理学の大家河合氏を訪ねるという 少し変った仕立ての本です。

 村上さんが書いているということもあり、難しい心理学の問題のことも分かりやすく書いている。無意識について、言語についてなども 例えをふまえ 分かりやすく勉強になりました。


河合氏のすぐれた話術によって、村上氏が自分の創作に関わる問題意識が、見事に引き出されている。
読者の解釈の自由度と多様性を守るために、普段は自作への解説的な発言を極力避けようとする村上氏が、自身の作品についてここまで語るのは珍しいと思う。
この時期の村上氏は、『ねじまき鳥クロニクル』、『アンダーグラウンド』という新しいタイプの作品を執筆した、創作活動の一つの転換点にあたる時期であり、大いに苦しんだ時期だとも思う。
終始楽しげな対談ではあるが、時折その苦しみを素直に吐露する村上氏の様子からは、村上による河合氏へのインタビューというよりも、河合氏による村上氏のカウンセリングと読み取れる。
いずれにせよ、この時期、歴史やノンフィクションという新しい領域に足を踏み入れつつ、その後村上氏は世界的な文学者となった。
物語が終焉を迎えたと言われる状況下で、それでも彼は、自らが紡ぐ物語で、なんとか読者に癒しや救済を提供しようとしているようだ。
この対談は村上氏の転換期の貴重なドキュメンタリーであろう。

日本の私小説の枠をはみ出して世界の読者を持つ作家と、ユンクの分析手法を学んで日本に適応している精神分析家の対談は、物語性を通じて二人の心理の深層を明らかにしている。物語性は近代と共に人々の心を捉えなくなり、その代わりに虚構性を軸にした小説の蔓延になったが、この対談で感じるのは物語性の復活である。こういう興味深い対談はとても示唆的であり、日本文学の貧困せいを脱却できるヒントが散見でき、これから強まる日本の政治の暴力性を通じて、文学が復活できるというのは実に皮肉だと受け止めた。

 短い読み物であり、村上氏の小説や河合氏の学術書などと違った全く違ったジャンルの書籍です。本書を読む前に、村上氏の『ねじまき鳥クロニクル』を読み、河合氏がどのような分野にいる人なのかという、知識を持っていた方が断然に読みやすいと感じました。私はどちらにも興味があって本書を手にとったのですが、やはり面白かった。
 前述のように小説とは違い、どこか哲学的な印象を受ける書籍で、それは対談している村上氏、河合氏ともにどこか心の奥底に潜む問題をテーマにしているからでしょう。これは本書で両者がしきりに述べている事からもわかります。
 暴力性に関するテーマが共通してあり、その派生として河合氏の臨床心理士としての意見、小説家としての意見が聞けるといった感じです。なぜ村上氏が小説を書くのか、河合氏が治療中にどんな事を考えているのか端的にではありますが語られています。

 私は村上氏が作品を通して登場人物を介さないで話しているのを初めて目の当たりにしましたが、(小説家というのが皆そうなのかはわかりませんが)他の学問の学者ほどに奥深い世界観を持っている事がわかりました。
 また河合氏は話の中で絶対に否定はしません。そのような文脈になったとしても遠まわしに相手に気づかせます。臨床心理士としての話の引き出し方のうまさなのか、はたまた村上氏の話のうまさなのかはわかりませんが、お互いに「話の達人」である事を再認識させられました。

 特に気になったテーマは、戦争、現代の「若者」の身体観と精神性、エネルギーの使い方、暴力性などにかんする記述です。短いので一読の価値はありますが、どちらにも興味を持てない方は読んでいて退屈かもしれません。